The Art of Yoshiko Miyashita
「 翡翠鳥、赫泡鳥」/1965年/ガラス・モザイク/堂ヶ島温泉ホテル

裸の空間

 熱海のある小じんまりとした京風の旅館でのこと。こちらが喉の渇きを感じる頃には、ちゃんとお茶菓子を持ってきてくれる。そしてその度毎に急須と湯飲み茶碗が変っているのである。着替える段になって驚いたことには、丹前もゆかたも広衿のおはしょりのあるものの、しかも丹前が綸子でまことにいきな柄である。何が何んでも美しく着てみたいものと、鏡の前で嬉しくなってしまった。寝床がこれ又まさしく一目で分る舞台衣裳、優雅で美しい友禅染のかけぶとんなのである。料理といい、すべてがいわゆる旅館、ホテルの何処でもある既製品ではなく、非常に細かく愛情のゆきとどいていること等考えて、ここの主人は女であるとびたりと当てた。想像していたわがイメージの通り、女主人は昔新橋の名妓だったそうである。その女主人のサ一ビスぶりは前歴が物中すばかりでなく、旅館の主人として泊る客の心理を非常にうまくつかまえていると思ったものだ。
 「旅館という商売は、客をくつろがせ日常生活のわずらわしさを忘れさせる所ですよ」
 と彼女は話したが、私はやはりその細やかな愛情とセンスの良さが客の心を打ち、まことに旅のたのしさとくつろぎを味わしてくれた。いつまで経っても忘れられないものではないかと思うのである。
 マンモスホテルやら国籍不明の建築用式のホテルがどんどん建っている現代では、こういう旅のたのしさがなくなりはしないかと気になっている矢先、堂が島ホテルの浴場の壁画と装飾を依頼されたので、客がたのしくなる新しい裸の空問を、と考えた。
 美しい海に面して、「隠し砦」の如く山肌にはまり込んでいる設計が士地柄にぴったりで何か不思議な面白さを感じさせるのが、すっかり気に入ってしまったのである。設計者の柳氏の意図は海底の神秘さ、海の中の洞窟のような浴場だとおっしゃる。先にのべたように、旅の宿は、旅人の憩の場であり、特に浴室は、風呂好きの日本人にとって重要な役目をもつところである。そうした意味で、私も制作意欲をかきたてられた。浴場はもっとも人間を解放させ、身心共にはだかになれる所である。それに、ホテルの客は千差万別である。学者も街の兄ちゃんも下町のおかみさんも子供も皆がたのしみ親しめるものでなければと考えた。気負いたった芸術品なんか創ろう等とは思わない。現実をはなれた夢を結ぶことができ、設計者の意図を、空問の中の壁面の形態としてではなく受取り、新しい心の空間の設定としてわくわくとたのしみながら制作したのである。
 堂が島の神秘なほどにすきとおった海を見て、壁面は中国の古い伝説からとった「斐翠鳥」「赫泡鳥」と題をつけた。材料は造的に美しいガラスモザイクで、湯出し口の噴水はタコの信楽焼で「海の道化」と名づけた。海底は底知れぬ無気味な神秘さと、ユ一モアがあると思うのである。
 温泉に対して客がもっとも求めている心理をつかんだ柳氏の新しいアイデアの椅子風呂に客が座りながら「斐翠鳥」と「赫泡鳥」の精に魅入られた浦島太郎になるのが、私の夢である。


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